2010年9月26日日曜日

Cypress HillがやってきたHola!Hola!Hola!

HIPHOPの主流が、N.W.A.の台頭で、WESTSIDEに移行していってから、ウェッサイ・シーンに

全く斬新且つユニーク(ロッキッシュ)なチカーノRAPグループが、あらわれた。出身地区を レペゼンする、その名も Cypress Hill Crew(後にCypress Hillに改名)。チカーノRAPPERといえば、LAでは、ICE-T , GERALD(ICE-Tが、映画「カラーズ天使の消えた街」に出演するのを観て「こいつにRAPさせよう」とPrdしたチカーノ・ラップでもアイドル扱い)そしてNYでは、LIGHTER SHADE OF BROWN(ブラウンは、チカーノの血という意)等がいたが、DJ MUGSのブルージーなネタをサンプリングするトラックと、鼻から抜けるようなRAPが売りのB-REAL、息を止めたようなCEN -DOGのRAPは、当時時々異端視されかねない印象で、受け止められた。デビュー以後HOUSE of PAIN,FUN

K DOOBIESTをデビューさせた事で認知度をあげていったものと思われる。

ラティーノとブラックの複合BANDといえばWAR#
LowRider が  http://www.youtube.com/watch?v=ro4yhp9L6Ok        有名だが、FAT JOEやDJ TONNY TOUCH,

そしてREGGAETONの下地をつくってきたのも彼らCypress Hillである。

タランティーノのサントラのような1st,スカルとHempのマークのジャケが印象的な2ndとHITをとばし

たが、Ganja,Hempなどと乾燥大麻のことしかRHYMEしない3rdでは、あきられてしまい、その後

Public EnemyのようにROCKへと頓挫してしまった。

そしてTHE CLASHのWhat'your Number?のカバー曲を擁したTill Death Do Us Part(RANCIDのTim Armstrongを起用し、ジョー・ストラマーに捧げている)で見事シーンに復帰。先ほどRISE UPという8枚目のアルバムで、また斬新なHIPHOPを展開させている。その1曲目のNEW ORDER「Blue Monday」かと、思わせるバスドラが、連打されるIt ain't nothingは、圧巻!ロックファンでも充分

楽しめる??What's Your Number http://www.youtube.com/watch?v=ro4yhp9L6Ok

Cypresshillの#LowRider     
http://www.youtube.com/watch?v=VZXF0XLFX1o

It's ain't nothing http://www.youtube.com/watch?v=lwAA6fXuh94


しかし ICE-T(BODY COUNTというロックバンドに転向)といい、このCypress Hillといいラティーノは、どうもロック好きが多いような気がしてるのは、おれだけか?w

2010年9月24日金曜日

Public Enemy #2

黒いSEX PISTOLSとまで、いわれたDEF JAMきっての政治的RAP集団、それがPUBLICENEMYである。彼らは、STAGEでも、その叛旗を翻していた。メンバーは、CHUCKーDとFlava Flavの2MC。DJは、ラテン系だったがTERMINATOR Xと名乗って顔は、あまり露出しなかった。そして、stageでのみ軍隊式行進をする、SW1という4人。そして、LILYCSのmainともおもえるProfessor Griffの8人。これが、当初のメンバーだ。後にユダヤ人迫害のような発言が、元で、Professor Griffが、脱退。




2pacの母親も黒人民族主義運動などを推進する'60から活動していたブラック・パンサー党員だったが、このメンツはんぱじゃなかった。

1st

「yo!BUM RUSH THE SHOW」で度肝を抜かせ、2nd「

It Takes a Nation of Millions to Hold Us back」で、サンプリングの妙技、アイディアで、HIPHOPを更なるレベルへとひきあげた。その影には、先鋭的PRD集団bomb squadの存在が、かかせない。以降ROCK的アプローチは、Anthraxとの競演で、次第にHIPHOPシーンからも離脱していく。

2010年9月22日水曜日

public enemy

黒いsexpistlolsだー?ふざけんな!かれら(pistols)は、ベルリンの壁批判や、Vo,のjohnny
lottenは、以後、宗教批判としてrelgion(カトリックの厳正なる家庭で、生まれた為)という曲を だしてるにしてもだ。publicenemyは、HIPHOPという題材をつかって、まんまと黒人奴隷だった頃からの
抑圧されてきたマイノリティーの状態をバシバシ批判してた。でも、これは、今書くべきとこじゃないと思う。
既に黒人初大統領として、バラック・オバマというアフリカン・アメリカンが、選ばれたんだから。

やることがなくなったんだろーか?最近の彼らは、おれも、よくわからない。。。。。。。
元モーニング娘の加護亜衣ちゃんとhard groove名義で、コラボしてたり。

pistolsは、伝説を、作ったにしても、public enemyは、最低4枚目までは、いけてるmusic
を提供してたぞ!数々の名曲を残してるぞ!HIPHOP FOREVERだよ!

publicenemyの略歴は、前回の記事のコメントに、ぼく自身が書いてます。

来日のときなんか京都、神戸LIVE2回とも行ったマニアです。

京都ライブのときメンバーのSW1にカノジョくどかれてたんで、文句言いに行ったら

サイン帳に「you be kill!」と書かれました。。。。。ぐらいのマニアだった。

その後もFravor fravが好きで、DISCOにコスプレしていったくらいです。


楽曲は、you to tubeで、いくらでも、みれます。すごいよ!wwwww


黒とか白とかいってるやつ、信じられねーよ!やつらは、PUNKだぜ!

一回みてみてください。では。。。。。。。。。。。。

2010年9月7日火曜日

今日は、きになるBLOGを紹介

http://blog.livedoor.jp/uknw80/

まんま’80NEWWAVEのblogです。見れば、わかります。アラサー、アラフォー必見???

残念ながら、ここに書いてきたthe stranglersや、gary numan(このひとNEWWAVEだと、おもっていたのに)は、ありませんでした。

京都のCHINA EXPRESSというDISCOで、師匠のK氏が、プロデュースしてた頃、がんがん

かかっていたようなものばかり。今は他界して、天国から、見ているであろう、おれのヘビークラバー時代の恩師、Kさんが、みれば、きっと喜ぶだろうな。。。

命日は、何故か3月3日なんだよなー。


ちなみに、このblogのタイトル ROCK THAT SHIT!(実はHIPHOP MUSICに起因する)は、PUBLIC ENEMYのメンバーFLAVOR FLAV
が、RHYMEのフックで よく使っていた、フレーズだ。日本のオールドスクーラーSDP(スチャダラパー)が、「ロック雑誌」と掛けて、RAPしていたっけか??

バラク・オバマというアフリカン・アメリカン初の大統領の誕生も彼らPUBLIC ENEMYが、ひとつの礎になっているということも、覚えといてほしい。NASは、今度は、JamaicaのREGGAEの始祖Bob marleyの息子Damian marleyと組んで、アフリカ回帰を謳っている。


次回は、そのPUBLIC ENEMYについて書こうかと思います。では。。。。。。。。。。。。。

2010年8月14日土曜日

Beastie Boys

http://www.youtube.com/watch?v=U7M7d8u40I4





これが、彼らと最初の出会い。DEF JAMが、相当あつかったころの曲だ。
前回紹介?した
Led Zeppelin の Black dogのドラムをループしてこすっている。
当時、DEFJAMの社長は、Rick Rubinという無頼のROCK好きの白人が、やっていたから、相当熱がはいったのだろう。
Ja-zがCEOになる前のRick Rubin PRDの「99Problems」の曲のJに「リックこれは、イカレてるぜ!ロックじゃん!」みたいなことをいわせている。
ずーっと「alibaba &40thieves(アリババと40人の盗賊)」というタイトルだとおもっていたw
かなり普通に「Rhymin’and Stealin’」となっているところが、オールドスクール・マナーだ。
以降CD買うときも、「お、DEF JAM?まちがいないか?(実際そんなことはないんだが)買おかな?」などと思わせてしまう大御所レーベルまで、のしあがったのは、事実。


この頃のRUN D.M.C. L.L.COOL.J PUBLIC ENEMYを排出したDEF JAMには相当の勢いがあった。。

2010年8月7日土曜日

LED ZEPPELIN

2010年8月6日金曜日


LED ZEPPELIN



はじめて自分で買って手にしたレコードは、Led Zeppelinの3rd。IMMIGRANT SONG=あの「移民の歌」(あああ~~~~~あぁ!♪)というあれである。幼い頃からMJやDianna Rossなどは、ラジオで耳にしてはいたが、ZEPPELINは、強烈だった。DJの面接の際「あのーぼくZEPPELIN好きなんですよー」とかいいながら、ZAPPやGEORGE CLINTONをかけてたんだから、その支離滅裂さで、不採用。そう世間は、SILVESTER「Do you wanna funk tonghit♪」とアフロ、SOUL DISCO全盛だったから、P-funkさえマイナーだった。

のちにkyotoのDJの溜まり場としてClub FISH&CHIPS(レゲエバーにしようとおもっていたんだがw)というネーミングのクラブをつくったのだが。。。。。。。。。

混沌とした平成元年の1年前、HOUSEが、台頭してきてASID JAZZなんかもでてきて、いろいろあったなー。

ブラックライトで、トニック・ウォーターが、光る様は、さしずめ「時計じかけオレンジ」のミルクバーだったか!???

なんかね、頭のキレたやつしかこね-よ!とかいってたな。HIPHOPならICE-Tのテーマが流れる「COLORS」(邦題「天使の消えた街」)という映画が公開されてて店員は、三者三様に青(クリプス)赤(ブラッズ)黄(チカーノ)のネルを着ていた。そら、びびられるわ!wちなみに、おれは、ヘタレっぽいので赤でした。CAM'RON、THE GAMEとお友達だな。そして、またROCKをききだしている。

繰り返すんだな、なんでも。あと1回くらい大きい山がきそうだ!

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